ハガキについて考える〜手書き文化の素晴らしさ〜

こんにちは。終活カウンセラー1級の林太郎です。 テレビのディレクターをしたり、終活ビデオを作ったり、個人や企業のブランディングの相談に乗ったりしています。

今回は、ハガキについてお話しします。

先日、セミナーに参加した後に、講師の方からハガキをいただきました。

60歳くらいの講師の方でしたが、セミナーに参加された10数人全員に送ったのだと思います。

そこには、セミナーに参加していただきありがとうござました。という感謝の気持ちが綴っていたんですね。

ハガキを10数枚書いていくって、けっこう大変だと思います。

その人に応じてどんな内容にするのか、宛名書きも面倒ですし、ペンなどで書いていたら失敗したらまた、ゼロから書き直し。

そう思おうと、講師の方は素晴らしい方だなと思いました。

手書きのハガキって、書くときには面倒臭い部分がありますが、もらった人からすれば、心がこもっていて、嬉しいものですよね。

講師の方にはハガキで返信を書いたのですが、ハガキのデザインをどのような形にするか、どんな内容にするかと考えるのは結構楽しかったです。

#久々にハガキを書いたら3時間くらいかかりました

今はメールでのやりとりが多くなっていますが、調べてみると、手書きの文、手紙というのは、聖徳太子の時代からすでに存在していたんですね。

#聖徳太子が「日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや。」という文章を送って中国の帝が激怒した

#聖徳太子は今の教科書では厩戸皇子(うまやどのみこ)という名前に変わったらしい

やっぱり、手書きのものというのは昔から廃れなかったのには、それなりの理由がありそうです。

手書きのものって、その人がどういう気持ちで書いたのかがやっぱりわかるんですよね。「字は人を表す」という言葉もあるくらいです。

文字はその人の人格や性格を表してくれるんですよね。

歴史上の人物の昔の書物が見つかると、大騒ぎになります。今まで信じられていた、その人と相手との関係性が覆る可能性もありますし、歴史の教科書が変わってしまうこともあるからです。

人間は何百年も生きられないので、どうしても歴史を紐解くには、書物に頼らないと行けないんですよね。伝聞などだと途中で変わってしまうことが多々あるからです。

一般の人の歴史もそうだと思います。

配偶者や子供に自分のことを伝えても、その人が実体験していないのでどうしても忘れちゃったり、記憶が曖昧になってしまい、聞く人によって解釈が異なってきます。

話すことでコミュニケーションをはかれるので、それはそれでいいものですが、やはり、文章で残すってことも大切なんですね。

そうしないと、自分の経験してきたことを伝えられません。特に自分の失敗談や成功談、行ってみて素晴らしかった場所などを残しておけば、それが子供や孫、ひ孫などの財産になってくるんじゃないでしょうか。

その財産がないと、また、自分と同じ経験をしないといけなくなり、無駄な時間を送ることになりかねません。

メールだと残らないけど、手書きの文章だと残る可能性は大きくなります。

あえて、手書きの文章を残していくことを心がけてみるのも、いいかもしれませんね。

そして、大切なのは、そういう手書きの文章があるということを家族に伝えること。

別に今、見せなくてもいいので。

当たり前ですが、存在していることを伝えないと、伝わりません。

眠ったまま、粗大ゴミで捨てられる可能性もあるので、そこは、気をつけたほうが良いですね。

それでは、素敵な1日をお過ごしください!

林太郎でした。

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